2016年06月14日

人間の生きる意味、生きる価値

イキナリ重たいタイトルですが、最近、思うところがあります。


人は何故生きるか、ということについては、生物学的な結論は出ています。

「子孫を残すため」 です。

そして私はその結論に納得してます。

しかし、子孫を一人前にした後に残った人生は、つまり余生はどうでしょうか?
わたしは余生に生物学的な意味ではなく、社会学的な意味を見出したい、と思ってしまいます。

とは言え、我が家の場合はまだ10数年後のことですので今すぐどうこう、ということではありません。
しかし、突然その日が来て呆けるのではなくて、今から考えておかないと、と思ってしまいます。

私があえて社会学的な、と書いた理由は、今の日本は老人が持つ権力、権限が多すぎて大き過ぎ、若者世代を圧迫すると同時に、日本の未来を削りとっている気がするから、なのです。

老いては子に従え、というのはもうはるか昔に捨て去ったような日本ですよね。
以前このブログで物議を読んだ大阪都構想だって若者世代の過半数は賛成票を投じたのに、老人世代の反対票で否決されました。
極端なことを書きますが、その時に反対票を投じた老人で、その後に死んでしまった人もたくさんいることでしょう。
数年後に死ぬなら、ずっと先まで重大な影響を及ぼすような投票を老人は投じるべきではない、と思うのは傲慢ですし、民主主義違反ではありますが、感情論として残ってしまうのです。

なので私は子供が独立した後に残された余生をどうするか?

生物学的には、子供が独立したらいつ死んでもいいのが親ですからね。
生物学的に生きる意味を失った後は、今度は自分で自分の生きる意味を作る番です。
やっとここからが本当に自分で生きる意味を作り、実行する自分の人生なのかもしれません。
なので生物学的ではなく、社会学的に、と書いたのです。

人間はそれほど強くない、と私は思ってます。
目標があるからこそ頑張れる。欲があるから真剣になれる。希望があるから不遇を乗り越えられる。
しかし、何も無ければあっという間に脳は退化し、肉体からは脂が抜け、筋力は低下し、生きる迷惑物体が残るだけです。

強烈なキレイ事を書くと、どうせ死に向かう残りの人生なら自分を捨て、我を捨て、汚い感情を捨て、残った自分を使って良い日本を残すために何かできないか?
別に食えなくてもいいじゃないですか。子供が巣立てば後は野となれ山となれ、です。

ぜひ応援、よろしくお願いします。
posted by 音有 at 12:26 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私も同感です。
Posted by at 2016年06月17日 07:22
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック